平和教育(広島・長崎に想う)

8月6日の広島平和宣言につづき今日8月9日は長崎において平和宣言
が読み上げられた。その冒頭は、「はたして世界のどれだけの人が記憶
しているでしょうか。」だった。

広島では約14万人が、長崎では約7万人(※広島20万人・長崎8万人とも
言われている)が59年前のその年に原子爆弾の被害で亡くなった。59年
経った今でも放射能に苦しむ人や死亡する人が続いている。

8月6日のテレビで、大学生に対して被爆者の方が当時の悲惨さを訴え、
教授が平和の尊さを授業したが、大学生の授業感想文には、「今の生活
とかけ離れすぎていてよくわからない」の感想が多かった。

平和宣言の「世界に訴える」ことも大切だが、その前に日本人自体が
広島・長崎や原子爆弾を知らないし、考えようとしていないのではないだろうか。

10年ぐらい前までは、8月6日は小中学校は出校日で平和授業があって
いたが、今は減っているそうだ。大学生のように頭が固くなってからの
平和教育では通用しないと思う。平和教育は、小中生徒のときに必要な教育
であり、感受性豊かな子どもだからこそ被爆者の痛み・苦しみが伝わり、
今後平和の礎を築くことができるのではないだろうか。

広島の平和宣言の元文はアメリカを「唯我独尊」主義と批判していたが、
意味の誤りから自己中心主義と訂正をして、読み上げられた。

「唯我独尊」の本来の意味〜お釈迦さまの『いのち』と同じようにすべての
『いのち』は尊い〜を知るには、大学生も大人も、核兵器の非人間性と
戦争の悲惨さの事実をしっかり聞き、広島・長崎の『いのち』の響きを感じて
いこうとする自身の姿勢こそが必要なのだと思う。

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