基幹運動の課題〜真俗二諦(しんぞくにたい)

親鸞聖人の示された真俗二諦とは、真諦つまり、仏法を基盤とし
て俗諦つまり、世俗の生活を整えていくという意味でありました。

仏教本来の真俗二諦説も、真理そのものが真諦であり、それを
私たちにわかるようにあらわしたのが俗諦といわれていました。

しかし、それらの意味とは違った意味で真俗二諦は、用いられる
ようになるのです。真諦は仏法のことですが、俗諦は当時の支配者
が決めた法律・制度(王法)の意味で使われたのでした。

とくに明治以降の浄土真宗教団は、昭和の戦争が終わるまで仏法・
王法の真俗二諦説を真宗教団全体を統制するものとして使ってきま
した。

信心正因・称名報恩を真諦としながら、その実は天皇制国家を支え
る大日本帝国憲法や教育勅語、つまり俗諦を優先し、体制に依存し
ていったのです。

もちろん、当時の国家神道体制の中で、教団も弾圧をうけ、苦渋の
決断により体制依存にいたったことと思います。しかし、信心の立
場から社会のあり方を批判していかれた親鸞聖人の生き方とは、
かけ離れた姿になっていたことは否めません。

今も私自身のなかに同じようなことはないでしょうか。

ともすれば、仏法よりも自分の見栄や世間体といった、世俗の論理
を優先しようとすることがあるようです。過去の歴史や教団の歩みを
しっかり振り返り、この私自身の姿勢を見つめなおしたいものです。

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