専雑(せんぞう)の執心(しゅうしん)、浅深(せんじん)を
判(はん)じて、報化二土(ほうけにど)、正(まさ)しく
弁立(べんりゅう)せり。

源信和尚は『往生要集』に、執心(人間の信じる心)は阿弥陀如来のお慈悲を
疑わない(修)い心と、疑いのこころをもつ(修)い心があるとじら
れました。

そして、そのいによって往生する浄土が違うと述べられました。
浄土が違うといっても阿弥陀仏の浄土には変わりなく、浄土の中に
真実報土と方便化土二土があるといわれるのです。

真実報土は他力念仏者が往生する真実の浄土であり、方便化土は阿弥陀
如来を疑うものが仮に救われていく浄土のことです。

この方便は、阿弥陀如来のお慈悲が、誰も漏らすことなくすべてのものを
救うものだということをよりはっきりさせるためのものであると同時に、
私人間が救えないほどの罪深い姿であることを自覚させるためのものだと
味わうことができます。

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