等覚(とうがく)を成(な)り、大涅槃(だいねはん)を証(しょう)
することは、必至滅度(ひっしめつど)の願(がん)成就(じょう
じゅ)なり。

前回、信心こそが浄土往生がまちがいない「因」となりうるとお話しました。
今回のご文は、その「果」を示されています。

浄土真宗は、この世のいのちを終わってお浄土へ往生することを、仏としての
はたらきにつくはじまりであると味わいます。そして、仏としてこの世の人々へ
仏法に出遇うご縁を導くはたらきすることを、親鸞聖人は「還相(げんそう)」と喜ば
れました。

これを当益(とうやく)と呼び、いのち終わった後の利益(りやく)のことです。

浄土真宗はさらに、いのちある今生の利益も大切にします。これを現益
(げんやく)、と呼びます。現益とは、他力の信心(如来さまからいただいた
信心)をこの世で得たときすぐに、正定聚(しょうじょうじゅ)の位につくという
ことです。

正定聚とは、お浄土で仏の悟りをひらき(大涅槃を証し)仏としてのはたらき
につくことが、今ここでまちがいなく約束されている(等覚を成る)ということです。
そしてこのことは、すでに阿弥陀如来さまが必至滅度の願(第十一願)に
お誓いになり、成就されました。

第十一願(必至滅度の願)
「設我得仏、国中人天、 不住定聚必至滅度者、不取正覚」
(たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、定聚に住し、かならず滅度に至らず
は、正覚を取らじ。) 『仏説無量寿経 上巻』

したがって信心(因)をいただいた私の人生は、正定聚としてみ仏とともにお浄土
への歩みがはじまり(現益)、いのち終わったら仏として生まれ、仏のはたらきにつ
く(当益)というように現当二益の「果」をいただくのです。

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