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■オハイオ州からの手紙1返事(生活と宗教)
クミコさん&Ericさん
わたしのホームページを読んでくださってありがとう。メールをいただいて、うれしかった。(^^)
充分なお答えにはならないかもしれませんが、とにかくお答えいたします。再質問は、いつでも何度でも待っていますね。
一般に民族宗教は、人間の自然な欲望を肯定して、外に向かってバランスをとろうとします。つまり、自分の周りの環境をかえることで幸せをねがっていくことです。これに対して、仏教は内に向かう教えです。つまり人間の自然な欲望を否定(自分自身を問題とする=取り違えないでください。人とのかかわりや自分のおかれている社会的状況も含んだ自分自身を問題にする。)します。仏教は、苦しみの本質(原因)が外にはないと教えてくれるのです。
たとえば、クミコさんがおっしゃるように『悪がまかり通って人々の権利が奪われる』ということを仏教に照らしてわが身を振り返ると、「私は悪ではないのだろうか。」「人々を踏みつけて生きていることはないだろうか。」「縁(えん)さえあれば、私だって人殺し(独裁者)になることだってあるのではないだろうか。」と教えられるのです。
もちろん、だからといって開き直って「どうせ私は悪でしかない、なにをやってもいいのだ。」ということにはなりませんよ。自分自身のいのちのあり方を見つめることなしに世の不正をなくそうとしていく(戦う)ことが、本当に私たちにできるのだろうかということです。戦いに勝った人はある意味独裁者ではないのでしょうか。そうやって、ますます自分自身の欲望を深めることにはならないでしょうか。
自分自身に目を向け、人間のもつ苦の本質や悲しみに気がついたときにはじめて、外への力強い動き(生活)となっていくのではないかなぁとわたしは思います。
それでもクミコさんは、仏教が遠い存在に思えますか?
浄土真宗でいえば、正しく生きようとするが、なかなかそう生きられない私を、いつでもどこでも問い聞かしてくださる阿弥陀如来がいることほど、身近なことはないと思いますが…。
とり急ぎお答えしましたが、充分ではないところもあるでしょうね。また、ご質問くださいね。それから、クミコさん&エリックさんの学ぶカトリックの教えについても教えてください。私も勉強したいです。
それでは、さようなら。 Shinryu
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