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■ハンセン病療養所を訪問して


布教使の研修会で熊本県の菊地恵楓園(ハンセン病の国立療養所)を訪問しました。元患者の5名の方からハンセン病への差別や偏見の実態と人間回復への活動をお聞きしました。

「ハンセン病は、感染力が弱く、発病することもまれな病気です。現在は治療法も確立され、感染しても早期に治療を受けると後遺症も残さず治ります。」

しかし、私たちの無知・無関心は、ハンセン病への差別や偏見を助長し患者さんと、その家族を苦しめてきました。

国は、1907年から「らい予防法(当時はライ予防ニ関スル件)」により患者の強制隔離政策をとりました。療養所では、周りに高い塀を作り逃げようとしたものは監房に入れられたそうです。また、逃げないようにお金を没収され園内通用券を使わせられたそうです。

さらに、入所のときには偽名にさせられ、断種や中絶強要など人権を全く無視した行為がされてきたそうです。「らい予防法」は、病気治療や予防のためではなく、患者の撲滅のための法律でした。

恵楓園内に納骨堂がありましたが、それは「骨になっても家にもどってほしくない」と言わざるを得なかったほどの、患者家族に対するまわりからの偏見・差別のむごさ。さらには「死んだ後も家族に迷惑をかけたくない」という、患者さんの家族に対する悲痛な思い、を象徴していました。

「らい予防法」が廃止されたのが、つい最近の1996年なのです。いったいなぜこんなにおかしな法律が長い間改められなかったのでしょうか。

戦後すぐに新薬が開発され、国際的にも隔離政策を改めるように勧告がなされていました。しかし日本は、隔離政策を継続しました。その大きな理由は、まだ新薬が開発されていない戦前、身体に後遺症を残すことがあったハンセン病患者を「国辱」と呼び、「無らい県運動(官民一体での患者狩り)」を行った思想が戦後も引き継がれたからです。

つまり、戦前・戦中の「優生思想(戦えるものを残そう)」「民族浄化論(優秀な戦える民族づくり)」こそが、廃止を遅らせた原因といえます。

これらの考え方は、今でも私たちのどこかにないでしょうか。

「明るい人は良くて、暗い人はだめ」とか「歳をとったら役に立たない」などよく聞く言葉です。また、正しい認識を持たずに迷信・俗信に振り回されていることも戦前・戦中の発想と同じことではないでしょうか。

そのことで、戦後になっても医者・マスコミあらゆる分野の人や市民が、隔離政策のおかしさに声を出して行けない雰囲気をつくり、何の疑問も持たずに差別に同調して長い間法律を引き継いできたのです。

僧侶も同様で、患者さんの前で「病気は前世の報いだ(業病だ)」と説いたり、「ここ(療養所)にじっとしているのが最高の幸せです」と言っていたそうです。

2001年5月、「ハンセン病訴訟」で原告勝訴の判決がでました。23日被告である国が控訴断念を決めて判決が確定しました。恵楓園の元患者の方が「苦しくても生きてきて良かったと実感した日」と言われました。

しかし、ハンセン病に対する差別・偏見はまだまだ根強く、さらに啓発が必要だということ。入所者の病気はほとんど治癒しているが、平均年齢がご高齢であることや病気の後遺症障害などで社会復帰が難しいこと。など今後の課題もいくつか提起していただきました。

私はこの訪問にあたり、浄土真宗本願寺派の宗制(宗派の最高法規)にある「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現」を再度自ら点検する必要を感じるとともに、ハンセン病に対する正しい認識をしっかりとご門徒に伝えていきたいと思いました。
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